今気づこ!
平凡という言葉は 人によって 感じ方も思いも違うかもしれません
言葉として 平凡と非凡であれば 非凡が優れていて いいようにも思います
でも
私は 難儀な経験や 病気をしているので 平凡であることがとても幸せに感じます
毎年 検査をしているのですが 数年前のことです
主治医の先生と 検査をしてくださる先生が違いました
検査中は 鎮静剤を使うので 意識はありません
検査後 暫く休んで 主治医の先生から結果を聞くという流れです
その年は特に問題がなく 安心して帰宅しました
それから2ヶ月後 次の診察の時です
主治医の先生が
「検査の時は大変でしたね」
と言われました
「?????」
「?????」
私は一体なんのことか さっぱりわかりませんでした
「えっと なにかあったのでしょうか?」
とお聞きすると
「検査中 血圧が一気に降下してしまい 危なかったようです」
「・・・・・」
「・・・・・」
そう言われてもまだ事態を把握できない私です
「血圧が下がったのですか?」
とお聞きすると
「だいぶ 危なかったようで 注射をして戻したようです」
と言われました
そうかと思いながらも
まだ 自分のことのように 理解できず
「血圧はどれくらいになったんですか」
とお伺いすると
「・・・・・」
「・・・・・」
先生はちょっと黙られてから
「心配なさると思って 言わなかったのですが・・・」
「危篤の時の血圧だったようです」
とのこと・・・
初めて えらいことでであったと認識しました
過去には 内容がたいしたことでなくても
「知らぬが仏やなぁ!」
なんて言ってきたこともあるけれど
今まではあまりにも カジュアルに使用してきたと つくづく思いました
ほんまに【知らぬが仏です】
本に例題を載せるなら 私の体験を掲載してほしいくらいです
こういう事象があった時 正式には 当日に患者に伝えるのが正しいのかどうかは分りませんが
私は 当日には絶対に知りたくなかったです
2ヶ月も前のことなので びっくりはしましたが 2ヶ月元気に生きているので 不安や心配もなく過去の出来事とできます
ですが
もし 当日に聞いていたら
「本当に大丈夫なのかな?」
と思って きっと毎日が不安で それにより病気になりそうです
先生が
「心配されると思って言わなかったのですが・・・」
というお言葉は
私が心配するだろうし 今後の日常は大丈夫という判断で 当日お伝えにならなかった 先生の優しさと思って感謝しています
よくドラマのセリフで
「なにもかも知ることが幸せではない 知らないままのほうが幸せなこともある」
なんて 決めゼリフがありますが 初めて
「ほんまや~!」
と思いました
そして
毎日何事もなく 平凡に過ごせる日常がどれだけ幸せなことかと思いました
幸い 命に別状がなく有り難いことではありますが もしかしたら あの日に 私の今生が終わる可能生もあったのかもしれません
平凡であるということは 元気であるということです
平凡であるということは 今日も食事ができるということです
平凡であるということは ささやかな幸せがあるということです
今日生きていることは 幸せです
今日も 平凡な一日であることが 幸せです
平凡が幸せであることが
気づけて幸せです