生まれてくれて

ありがとう

 

皆さん いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきましてありがとうございます

皆さんにはお変わりなくお過ごしでしょうか

今年は大変なことが多く 度々の大型台風も心配になりますね

皆さんのお住まいが どうぞご無事であることを 心よりお祈りしております

 

さて 毎週日曜日の0時に投稿しておりますが 金曜日は土曜日の朝まで 土曜日は日曜日の夜中の1時半まで まるまる2日間 年賀状の作品制作をしておりました

いつもの如く 集中し過ぎて時間感覚が無くなり ふと気付けば12時間が経過していて 0時に投稿するはずか1時間半も超過しておりました

0時にご高覧いただいている方には ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした

集中し過ぎると またやらかしてしまいますが どうぞこれに懲りずにまたお越しいただけますと幸いに存じます

 

 

それでは今日の作品です

生まれてくれてありがとう

人生一人より二人

二人より三人が幸せ

ですが・・・

 

我が家では 毎月第四土曜日は家族会の日としております

今月は先日の連休に集まるというイレギュラーでしたが・・・

子どもは皆独立しているので 月に一回 それぞれが予定を調整して集まるようにしています

私にとって とても嬉しい日であり 人生においてかけがえのない一日です

夫が他界して30年近くなり 子どもが全員独立して10年近くなります

その為 当然独り暮らしも10年近くなりました

子どもと同居している時は 料理は 掃除や洗濯と同じ家事の一つでした

ですが

今は 我が子達はお客様ではないけれど お客様をおもてなしする時と同じ気持ちで 少しでも美味しい物を食べさせてやりたいという ある意味家族会での料理は 家事ではない特別なものとなりました

当然私より 我が子達の方が収入もあり 食べたい物も食べたい時に それなりに食べることができると思います

でも

母の愛情は きっとお金を払って手に入れることとは 次元の違う尊いものではないかと思っています

これは勿論 私だけと言う意味ではなく 世のお父さんお母さんの 無償の愛という意味です

 

同居していると 親子でもそれなりの摩擦もあり 優しい気持ちでばかりではいられないのが人だと思います

でも

独立などで別居することで 一旦はお互いに解放されたような喜びがあるかもしれませんが 子どもは親と離れ 何もかも自分の責任に於いて行動していかなければならなくなり 更に家事もしなくてはならないという現実に直面した時に 今までどれ程守られ 有り難いことだったかと気付く場合もあるでしょう

親も 反抗期の子どもと付き合ってきたり 毎日山ほど出る洗濯物 お弁当作り どんなに時間をかけて作っても あっと言う間に完食する食欲を満たす為の料理作り等々 ヘトヘトになることもしばしばあったかもしれません

でも

お互いに離れることで 違う感情が生まれる場合もあるかもしれません

そういう意味では 私は 昔も今もどちらも幸せです

そして

どちらも違う かけがえのない幸せです

 

年齢を重ねて今思うことは 我が子にも 人様にも 何かしてあげたいと思う時は ためらわず 今度ではなく 今してあげたいと思います

私には持病はありますが 幸いに 夫のように命の期限を切られた訳ではありません

でも

人の寿命は本当に分からないので

何事も生きている間しかしてやれない

今日生きているからこそしてやれる

してやりといと思うことを勿体ぶったり

先延ばしにすることは 

後悔に繋がるかもしれない

今を生きる

今日を生きる

今日できることは 

自分なりの最善を尽くすことのみ

と思っています

 

まぁ 私の場合は大袈裟なことではなく

我が子達に 一品多くおかずを作ってやろうとか ちょっと奮発して 普段は買わないフルーツや食材を買うという程度のことですが・・・

食べることばかりでお恥ずかしいです

 

 

話はガラッと変わりますが・・・

私は 何故か我が子達が子どもの頃の夢をよく見ます

抱っこしていることが多いのですが 目覚めた朝 とても幸せな気持ちです

夢って本当に不思議です

とっくに大人になっている我が子達が 赤ちゃんでもおかしいとは思わないのだから・・・

でも

だからっと言って 敢えて我が子達が子どもの頃の写真を見たり ホームビデオを見たりということはありませんが 心のアルバムをめくることはちょくちょくあり 幸せな気持ちに浸っております

 

ついこの間も ふと思い出したことが・・・

末の子どもが幼いある日

「お母さん 天気は何しはるの?」

と聞きました

「ん? 天気???」

「うん 天気!」

「何しはるの?」

「?????」

「・・・・・」

私は全く意味が分からず困ってしまいましたが よくよく聞いてみると

「天気は何しはるの?」

を突き詰めていくと

「天気はなんかしはるの?」

とのこと

「?????」

「?????」

「!」

「あ~~~~~~~~!」

「なるほど!」

「そういうことね!」

ハハハ~

「週末にかけて雨雲が南下し 天気急変に注意!」

のフレーズ!!!!!

何か!→なんか!→南下!ということです

ハハハ~

解決してやれやれ!

子どもは幼すぎてきっと意味が分からず モヤモヤしたかも!

でも

私は 謎解きゲームのように 超スッキリーでした

 

これを思い出すと一緒に思い出すのが 今でもニュースを見ず 耳だけで聞いていると

<汚職事件!>

<お食事券!>

に聞こえ 毎回笑っております

しょーーーもなーーーい!

です

毎度毎度食に関するお話でお恥ずかしいです

食いしん坊なものでお許しください

そして

言葉って面白いと思ってしまいます

言葉を扱う仕事をしているだけに 過剰に反応してしまうのか・・・

 

それから

我が子と言えば ちょっと不思議なことが・・・

又々末の子どもの話ですが・・・

我が子達が幼い頃 私は難病になってしまい 症状や治療などが壮絶な時期がありました

人としての尊厳を失うと言うか

人としての尊厳を完全に打ち砕く病気です

その症状の一つである腹痛が起きた時 いつも末の子どもが私のお腹をさすってくれました

そうすると 本当に不思議ですが痛みが治まるのです

本来は母が子にしてやるべきことで 我が家では逆ですが 手当てにより治まることがあるのだと毎回実感しました

気持ちの問題なのか?

我が子だからなのか?

それとも

我が子の手から 何か出ているのか?

我が子に特別な力があるなんて思っていないし 特別の力を持っていてほしいとも思っていないし 科学的な証明が必要な訳でもなく ただただ我が子の手が安心して 安らぐものであったのだと思います

それにより 何故が痛みがなくなったのでしょう

手を当てる 手当てとは本当によく言ったもので 母の手当てだけでなく 子の手当ても魔法のようです

 

そして

夫と死別してからのこの30年程を振り返ると 私は母であり父であり 女であり男でもあったと思います

もし夫がいれば 力のいること 高いところの作業など お願いしたかもしれません

でも

一人だったので 全て一人でしてきました

それがいつの頃からか

子どもにお願いすることもできるようになった喜びがありました

 

今は独り暮らしなので 全て自分でしますが 家族会の時は何故があまり力が出ず 先日も新品のごま油の中栓を開けてもらいました

きっと甘えているのでしょうね~

普段だったら一人なので 引きちぎってでも開けるはずですが・・・

一緒にいると ペットボトルの蓋もなんだか堅くなります

何故か普段より・・・

「なんで???」

頑張らなくていいという気持ちがあり なんか力が出ません

きっと甘えているんでしょうね~

「あかん! 堅い!」

「開けられへん! 開けて!」

とお願いしています

 

我が子達は 何の力も入れず パッと開けてくれます

(こんなん開けられへんかったら 普段一人でどないしてるんやろ?)

と心で思っているかも・・・

でもでも

「我が子達 大丈夫よ!」

「一人と思うと何故か馬鹿力が出るから!」

「だから一緒の時は 非力な母でいさせて~」

 

我が家は残念ながら夫が他界したので 家族の人数としては一人減り 今は独り暮らしでもありますが たとえ離れていても 家族がいてくれることは本当に幸せです

人生一人より二人

二人より三人が幸せ

そして

我が子達

私達の子どもとして

生まれてくれてありがとう

 

 

皆さんにとって素敵な一週間でありますように

それではまた~