ちょこちょこ・・・
皆さん いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきましてありがとうございます
皆さんにはお変わりなくお過ごしでしょうか
先日 マンションのエントランスを出たところ とてもかぐわしい香りが漂ってきました
毎年この時期に 秋の訪れと共に 私を優雅な気持ちにしてくれる キンモクセイの香りです
お隣のマンションに何本も植えられていて もらい香?をしております
甘く漂う香りなのですが 品の良さを感じます
キンモクセイの花言葉を調べたところ その一つは謙虚みたいですね
素晴らしい香りに反して 控えめな小さなお花を咲かせることに由来しているようです
「見習いたいものです❤」
それでは
体重増減をご報告させていただきます
2021年4月25日よりスタート!
(26週目)
先週よりの増減 0㎏
スタートよりの増減 +0.3㎏
先週は
年賀状作品の制作時はぶ~ちゃんになりますと 訳の分からない宣言をいたしましたが 今週も増えたまま同じ体重となっております
「エ~ン・・・」
今後 ちょっとでも減りましたとご報告ができますように・・・
それでは
今日の作品です
転んだことのない人より
ちょこちょこ転んでいるほうが
大怪我しないかな
ですが・・・
最近
親ガチャという言葉を耳にするようになりました
私はガチャと聞くと ゲームセンターにある 回すと商品の入ったカプセルが出てくるものを思い出しますが この親ガチャというのは ソーシャルゲームの用語であり 課金によってアイテムをランダムに手に入れることができるシステムを指しているようですね
ガチャとは運次第なので 親ガチャとは どのような親の元に生まれるかによって 人生が決まるという意味で使用されていると知りました
親ガチャにはずれたという言葉に対して 親の反応も色々のようですね
「なんたること けしからん!」
「こっちこそ 子ガチャや!」
という意見もあれば
「まぁ ガチャを回したんはあんたやけどなぁ!」
「来世は当たりをひきや!」
という意見もあれば
あまりにショックで 自分の子育てを思い返し号泣する
なんていう親御さんもおられるということらしいです
この言葉を
ちょっと親子げんかをしたくらいの気持ちで言ったのか?
それとも
社会問題化している経済格差によって 例えば進学などを諦めたということで言ったのか?
それとも
もっと深刻な問題があって言ったのか?
分かりませんが
親ガチャという言葉が良いか悪いかは 取りあえず置いといて
それを言う 子どもそれぞれの境遇を ひとくくりにはできないように私は思います
そして
ちょっと話は変わりますが
この親ガチャという言葉を聞いて 私は違う観点に興味を持ちました
それは
親子というのは 必ず仲がいいか?ということです
血の繋がりがあっても 仲の悪い親子もいれば
血の繋がりがなくても 仲の良い親子もいます
奥さんが他界され 一人お子さんがおられたお家に嫁がれた方がおられたのですが
その後
お子さんが三人誕生され 四人兄弟となりました
長子の子どもさんは 本当のお母さんでないということが分かる年齢でしたが 二番目以降の子どもさんは 大人になるまで 長子の方とお母さんが違うということを知りませんでした
自分の母は 本当に分け隔てなく子育てをしてきたと尊敬したそうです
長子の方は 本当のお母さんでないことを知っていながらも むしろ 知っているから感謝の気持ちが強かったのか 四兄弟の中で 一番お母さんを大切にされたそうです
そうかと思えば
血の繋がりがあっても
毒親に悩まされているという場合もあり
親子の関係性も家庭によりまちまちです
そして
兄弟もまた 必ず仲がいいか?ということです
子どもの頃 私の友達は 二人兄弟か三人兄弟の友達が多かったと思います
ですが
一人 十人兄弟の友達がいました
長子の方と末っ子の方との年齢差は二十歳以上あるということでした
もうこうなると 兄弟というよりも 親子のような感じになるのでしょうかね
そして
「何番目の兄弟は凄い嫌いやねん!」
という話を聞いたことがあります
自分にはそのような感覚はなかったけれど 子どもながらに
(そら 十人もおったらそうなるか!)
と思いました
勿論血の繋がりがある兄弟だと思います
何人兄弟であろうとも
たとえ 一人っ子でも 両親がいれば 三人家族ということになります
一人っ子で シングルファザー シングルマザーであれば 二人家族ということです
私は 各自を個と考えているので 自分以外の人と協調していくというのは 家族であっても 他人さんであっても それなりの努力が必要だと思っています
ただ
他人さんであったなら 問題が起きた時に 二度と会わないという選択肢も可能になるかもしれませんが
家族の場合は なんとか問題を解決する方向に努力をするのではないでしょうか
それが
家族と他人さんの大きな違いの一つかもしれません
家族であろうが 他人さんであろうが 自分以外の人と付き合っていくのは それなりに大変なことだと思います
それが思春期であれば尚更のこと
親に何を言われても
「別に!」
と うっとうしく感じるかもしれません
「なんでこんな家に生まれてきたんやろ!」
と たとえ恵まれていたとしても そう思うかもしれません
ですが
親を困らせていた子どもが 大人になった時 とても親思いの子どもになると聞くことがあります
大人になって分別がついたからなのか?
親に迷惑をかけてきたことを後悔し 親思いの子どもになるのか?
そして
ヤンチャをしていた男の子が 結婚して女の子が生まれた時
とても厳しくなるというのもよく聞きます
娘さんは 夜7時を過ぎたら駅に迎えに行くけれど
奥さんは 夜10時でも
「勝手に帰って来い!」
と言ってお迎えに行かないという 笑い話を聞いたことがあります
奥さんにしてみれば
「娘に悪い虫がつかないようにって!」
「若い時 自分は散々悪いことをしてきたのに・・・」
とのことです
そして
息子さんには
「あいつは 次から次へと女変えて もうしゃーないやっちゃなぁ!」
「困ったもんやで!」
とのこと
奥さんは
「自分のしてきたことを棚に上げ どの口が言ってる!!!」
とのこと
まぁ 悪いことをしてきたからこそ分かるということもあるのかも・・・
話は戻って
先程の 親ガチャという言葉ですが
どのような親の元に生まれるかによって 人生が決まるということは
社会問題化している 経済格差という金銭的なことだけでなく
裕福であっても 代々続く伝統あるお家であったり 跡継ぎの必要な職業であったりと 子どもの頃から 大変な思いをする場合もあるかもしれません
もしかしたら
「お金がなくてもいいから 自由がほしい!」
と思うかもしれません
どんなことであっても 本当の意味で理解できるのは 本人しかいないのではないかと思います
たとえ親であっても 理解するのは難しいかもしれません
でも
親であろうが 兄弟であろうが 他人さんであろうが
寄り添うということはできるのではないでしょうか
そして
寄り添うというのは とても素敵なことではないかと思います
親ガチャという言葉からは だいぶ遠くなりますが
随分前に
子育ては 介護で完結する
という言葉を聞きました
子育ての終わりはいつでしょうか?
高校を卒業した時でしょうか?
二十歳になった時でしょうか?
それとも
中学 高校 大学 大学院など 最終の学校を卒業し 就職した時でしょうか?
私は
最終の学校を卒業した時であり
就職した時であるとも言えるのですが
何より
食べる
着る
学ぶ
などのために必要だったお金がいらなくなった時に
「子育てはやれやれ終わった~」
と思いました
「後は どうか元気に生きて行って~」
という感じです
先程の
子育ては 介護で完結する
という言葉の意味は
子育てが成功したかどうかというのは
親が介護が必要になった時に
子どもがどのような接し方をするかで
その子育ては 成功だったかどうかという意味だそうです
介護というのは 本当に大変なことです
息子であるか
娘であるかによっても違うかもしれません
プロの力を借りるかどうかによっても大きな違いがあるかもしれません
気持ちがあっても 仕事をしていたら思うように行かないこともあるかもしれません
介護のために離職をし 親の年金で生活をするという 究極の選択をしなければならないかもしれません
私は この言葉を聞いた時
現実の行動よりも
親を思うという 心情の方が強く感じられ
目には見えないその想いが 親子の絆であり 子育ての結果とも言えるのではないかと思いました
子育ては 介護で完結するとは
親ガチャと同じく
ドキッとする言葉であり
捉え方も 人それぞれかと思いますが
ある意味
どちらも 深いなぁと思います
親ガチャの意味であるように
どのような親の元に生まれるかによって 人生が決まるというのは 確かに全否定できないというのが現実ではないかと思います
ですが
その生まれ育った環境に関係なく 努力で成功を収める人がおられることも事実です
むしろ
子どもの頃 苦労してきたことで 人の心の痛みの分かる人になって 人心を得る場合もあります
成功者のドキュメンタリーなどで 想像を絶する苦労をしてきたというお話を聞くこともしばしばあります
人生に於いて なんの苦労もなく なんの挫折もなくという人よりも 苦労したり 挫折してきた人の方が魅力的であるというのはよくある話です
今日の作品の
転んだことのない人より
ちょくちょく転んでいるほうが
大怪我しないかな
ですが
苦労というのも なかなか捨てたものではなく
人を成長させ
人の気持ちが分かるようになり
失敗も糧となり
考えも深くなり
次の行動で大失敗しないという準備もできるかもしれません
転んだその時は
落ち込むこともあるかもしれませんが
後々考えれば
転んだことも無駄でなかったと思えるかもしれません
そう思えると 人生も彩り豊かになるかもしれませんね
おまけですが
親ガチャという言葉を話題にしていた番組を初めて見た時
スタジオが ちょっと重い雰囲気になっていたのですが
最後に お笑いの大御所の方が
「でも ガチャのはずれは 同じのが出ることやけどなぁ!」
と言われました
「!!!!!」
「なるほど!!!」
「さすが!!!」
と私は思い
スタジオも 重い雰囲気を吹き飛ばすように 一転笑いが起き
「親ガチャという言葉はあったとしても それがどうした!」
というような気持ちにさせてくれる締め括りでした
本当に
おあとがよろしいようでとは
このことと思わせくれる
後ろ髪を引かれることなく
スッと次の話題に行けるという
「さすが!!!」
という言葉以外になかったです
ガチャということで言うならば
親ガチャ 子ガチャという 対人という否定的なことではなく
誰しも
毎日毎日
選択と決定の繰り返しです
外食したとしても
「美味しかった! 今日は当たりや!」
「美味しくなかった! 今日ははずれや!」
とガチャかもしれないし
スーパーのレジの列に並んでも
隣より早いと思っていたら
途中でトラブルが起きて とんでもなく長く待つこともあります
親ガチャとは 自分では決められないということを嘆くことですが
自分に決定権があったとしても 思い通りにいかなかったり あたりはずれがあるというのが人生です
ある意味 長い人生そのものが 何が出て来るか分からないガチャなのかも・・・
この表現が良いか悪いかは別として・・・
人は
生まれてくる時も
死ぬ時も一人です
人は常に個であり
その上で
家族とも
他人さんとも
寄り添って生きてゆく
というのを基本としていれば
人に過剰な期待をすることなく
それなりの距離を持って
それなりの努力をすることで
たとえ転ぶことがあったとしても
快適に生きてゆくことができるかもしれません
皆さんにとって
素敵な一週間でありますように
それでは
また日曜日にお逢いしましょう
雅
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