かけがえのない宝物
皆さん いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきまして ありがとうございます
毎週日曜日に投稿をさせていただくこととなりましたが 皆さんにはお変わりなくお過ごしでしたでしょうか
私は 7月から本格的に仕事が始まり もう毎日ルンルンです
そして 5ヶ月ぶりにお会いした生徒の皆さんがお元気で嬉しい限りです
このホームページにお越しいただく皆さんにも たくさんの素敵なことがありますように
雅
今日は 20年以上前のお話です
今ではプライバシーの観点から 考えられない話となりますが・・・
我が子達が小学校でお世話になっていた頃 全校生徒が記載されている名簿が配布されていました
今となっては なんだか恐ろしいように思いますが その当時は何の違和感もなく 子どもがなかなか帰ってこなかったら お家にお電話してみたり お礼を申し上げたりと むしろ便利に使っていたと思います
住所や電話番号は勿論のこと 両親の名前も記載されていました
我が家は既に夫が他界していましたので 父親の欄は当然空白です
長子の時は 1学年2クラスで 3名に空白がありました
ところが
末の子どもの時は 同じく1学年2クラスで 8名に空白がありました
現実には お家のご事情で あえて空白にはされない場合もあるというお話でしたので 本当の空白人数はもっと多いということのようでした
末の子どもの学年が たまたまひとり親のご家庭が多かったのかもしれませんが 各ご家庭には それぞれのご事情があり きっと色々なご苦労があるのだと思いました
我が家のように 夫が他界していると 分かりやすい不幸ということで
「お若いのに気の毒に!」
となるのですが
はたから見て分からなくても 又 言うか言わないかの違いがあるだけで それぞれのご家庭には 大なり小なりのお悩み事はあるのかもしれません
幸せかどうかというのは 人の評価ではなく 自分がどう思っているかということではないかと 私は思っています
人様から見て とても裕福で羨ましいと思われても ご本人が幸せと思えなかったら それは幸せではないように思います
逆に 人様から見て 不幸な人と思われても ご本人が幸せと思っていたら それは幸せだと思います
幸せというのは 自分が決めるということでいいように思います
と言うことで 私は人様にご心配はいただきますが 自分は幸せと思っています
と いつもの のんきな発言です・・・
子どもの友達に 我が家と同じく お父さんを亡くした子どもさんがおられました
私とは病名は違いますが お母さんも持病のある方でした
環境が似ていたということもあり お付き合いをさせていただいていたのですが それから程なくして お母さんがご他界されました
大変なショックを受けたのですが それと同時に 本当に人ごとに思えませんでした
そして 子どもさんはお一人だったので 尚更過酷に思い どうされるのだろうと 我が子ではないけれど胸が塞がる思いでした
自分は今のところ生きているけれど 我が家もいつ同じ状況になるかと不安で仕方がありませんでした
もしそうなった時 我が子達は一体どうなるのかと・・・
その子どもさんは 施設に行かれることなく ご親族の元へお引っ越しをされました
それ以降 お会いしたことはないのですが 風の便りに 元気に頑張っていると聞き 嬉しかった記憶があります
人には言えないご苦労があったでしょうが きっと素敵な大人になられたと思います
多くの子ども達にとって 父親と母親がいることは当たり前で 私も何気に母親をしてきましたが 現実には 色々なご事情のご家庭があり 子どもにとって 父親と母親がいること 又は 父親がいること 母親がいることは 決して当たり前ではないのかもしれません
両親を亡くしてしまった子ども達にしてみれば せめて お父さんだけでもいてくれたら お母さんだけでもいてくれたらと思うのではないでしょうか
ひとり親であれば 両親が揃っている友達を羨ましく思うかもしれません
でも
もし 両親がいなければ ひとり親の友達でも羨ましく思うかもしれません
世の中には 普段当たり前に思っていても 本当の意味での当たり前とはなかなか存在しにくく 誰しも そして 全てはある意味 諸行無常ということなのかもしれません
親を亡くすというのは 子どもにとって とても辛いことです
お父さんを亡くして 受験が上手くいかなかった子どもさんがおられました
お母さんを亡くして お家から出られなくなった子どもさんもおられました
お父さんを亡くし 数年後 お母さんを亡くして 心が病気になってしまい 学校を辞めてしまった子どもさんもおられました
心に深い傷を負ってしまうのだと思います
私は 子どもが幼い頃 何度も繰り返し考えてきたことがあります
我が子達は全員 父親の記憶が全くありません
でも 父親を亡くした悲しみや 深い傷 もっと言えば お葬式という 非日常の悲しい場面の記憶がありません
父親がいなくて淋しいという気持ち 友達が羨ましいという気持ちは間違いなくあったと思います
ですが 父親が目の前から突然いなくなるという 絶望感や虚無感はなかったと思います
一方 はっきりとした記憶があってからのお別れは 大人には想像もできない 悲しみや苦しみや絶望感があると思います
でも 心のアルバムには 多くの素敵な思い出があるかもしれません
どちらが良いとか悪いとかではありませんが 子どもにとっては辛いことに違いはありません
辛い子どもの期間が過ぎてしまったら 思い出がある方が幸せかもしれません
親との別れは 死別ばかりではありません
事情があって両親が別に暮らす場合もあるでしょう
よく 子どもは親を選べないと言いますが 私は 親も子どもを選べないのではないかと思います
科学的な説明は一切できませんが 私の感覚としては 親が子どもを選ぶというより 子どもが親を選んで生まれてくるように思います
我が子達は 私の成長のために こんな大変な家に生まれてきてくれたのではないかと思っています
縁あってという言葉がありますが それは 夫婦だけではなく 親子も 見えない糸のようなと言いますか 人知の及ばないと言いますか やっぱり縁あってなんだと思います
親と離別しても 死別しても 頑張っている子ども達はたくさんいます
お母さんと死別しても 自分が目指す夢のために ひたむきな努力をする男の子がいます
どれ程辛いかと思いますが いつも必ず 笑顔で「ありがとうございます」と言ってくれます
その笑顔も 愛に溢れる思いやりも 誠実なところも 謙虚なところも 優しいところも ひたむきに努力をするところも 精一杯全力を尽くすことも いつも感謝の気持ちを忘れないことも 人の幸せを願えるところも 全部 お父さん そして ご他界されたお母さんが素晴らしい方だったからでしょう
そして その男の子が どれほどか辛かった経験を糧にして 周りの人を大切にできるから 周りもその男の子を大切に思って 一人の人として尊敬し 応援をするのだと思います
今日の作品
心の痛みがわかるのは
かけがえのない宝物
ですが
我が子も含め 淋しい思い 辛い思いをしたことは 決して無駄なことではなく 人の苦しみ 人の心の痛みが分かり 辛くとも とても素晴らしい宝物を手にしたと思ってくれれば 伴侶を亡くした親の一人として 嬉しく思い 又 切なる願いでもあります
私が応援している男の子も 過酷な辛い経験をして 人の心の痛みが分かるからこそ 人に優しくできるという かけがえのない宝物を手に入れたのではないかと思っています
長文をご高覧いただきまして ありがとうございました
それでは 又来週の日曜日にお逢いできますことを楽しみにしています
皆さん 素敵な一週間をお過ごしくださいね
雅