花が咲くまで のんびりのんびり

花の開花時期は 人それぞれ

 

私は子どもの頃から 興味のあることと 興味のないことへの向き合い方が全く違いました

18歳になる少し前に 父から車の免許を取るように言われ 取りましたが 結局ペーパードライバーになり 夫と付き合う前は 父に乗せてもらい 夫と付き合ったら自分で乗る必要もなくなり そして 結婚をしたら益々必要なくなり 夫からも「危ないから 乗らんとき!」と言われ 遺言のごとく 今日まで守っております

 

若かりし時の私は 車は 父か夫に乗せてもらったらいいかなぁと思っていました

ですが 車の運転が好きであれば 誰かに乗せてもらうこととは関係なく きっと乗っていたと思いますし 夫が亡くなってからの方が 乳飲み子を抱えて絶対便利なはずなのに 結局乗らずに今日に至っております

たとえ実用性があっても 私の中では興味がなく 必要性はあるかもしれないけど 別に乗らなくてもいいという思いだったのでしょう

 

又 ゴルフも 父から

「これからの時代 ゴルフくらいできないと!」

と言われ 一式揃え 練習をし コースにも行きました

子どもの頃から スポーツは何でも好きで まぁまぁ得意な方だったはずなのに ゴルフに関しては 何故かときめくことがなく 嫁入り道具の一つとして持って行きましたが 夫も亡くなると ゴルフバッグに埃がかぶって そのうち人にあげるという結果です

 

結局 ゴルフにも興味がなかったのでしょう

でも ゴルフに関しては 父と一緒に行く時 腕を組んで歩いていたことが 父にとってとても嬉しいことであったと後に聞かされ

「それなら ゴルフをしたことも無駄ではなかった」

と思いました

 

そして

10代の頃 母が習っていた 踊りの教室に一緒に行くようになりました

(踊りは 洋風ではなく 和風の方です)

これに関しては 自分から始めたことではないけれど 凄く興味があって それなりに頑張りましたが 結婚を機に一旦辞めてしまいました

 

この踊りについてのお話です・・・

いつも師範に習っていたのですが ある日 宗家に習う機会がありました

その時 宗家が言われるには

「あなたの踊りは間違っていないけれど 人としての深みがありません」

「人生経験がないことが 踊りに出ています」

と言われました

 

「なるほど!」

と思いましたが

「でも どうすれば???」

という思いでした

 

自分の人生を振り返ってみると

一言で

【お金のない お嬢さん】 でした

家がお金持ちではないけれど 結婚するまで 何の苦労もせず 家の手伝いもせず 仕事から帰って来ると 食事の用意は勿論のこと 掃除も洗濯も 母がしてくれていて 休日に自分の部屋を掃除する程度です

これでは 人生の悲喜こもごもを 芸術的表現に生かせるはずもなく 仰るように 人としての深みどころではありません

 

踊りは辞めてしまったので 本当の結果としては分りませんが 結婚してからというのは 人生が大きく変わり 30数年であまりにも色々な事を経験したので 今だったら 踊りとしては上手には踊れなくても 人生経験は濃密で 人としての深みは 熟成されるほどたっぷりになったので 情感深く表現できるのではないかと思います

 

若い俳優さんが とてもいい演技をされるのを見て

「若いのに 凄いなぁ!」

と思っていたら その爽やかさからは感じることのできない 壮絶な苦労をして来られたと伺い 応援したくなりました

若くても 苦労した人生経験が 人を惹き付ける豊かな情感として表現される 俳優という仕事は 苦労してきたことも生かされ きっと天職なんだと思い 苦労したことも 辛かったとはいえ 決して無駄ではなかったと思っておられたらいいなぁと思いました

 

踊りの宗家が言われていた 人としての深みとは 年齢ではなく 若くても 人生経験が豊かであると 培われるものだと知りました

私が若かったその当時は 急に人としての深みが出るわけではないと思い

「年齢を重ねて 色々なことを経験するしかないのかなぁ」

「今は 心情的な部分は不足しても 踊りとしての技術を磨こう」

「まぁ 人としての深みは 花が咲くまで のんびりのんびりかなぁ」

なんて 思っていましたが 怒濤の人生経験が訪れても 踊りを再度習う機会もなく 花が咲かずに 蕾のまま枯れたという感じでしょうか・・・

 

とにもかくにも 私は興味のないことには 全く心が動かされず 当然続けることもできず 自分の興味のあることにのみ 過去も現在も そして きっと未来も 進取的になれるのだと思います

 

まぁ おそらくまだ残っているであろうと信じたい人生で また別のことで

花が咲くまで のんびりのんびりと待ちたいと思います