この苦しみの先にある
皆さん いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきましてありがとうございます
皆さんにはお変わりなくお過ごしでしょうか
まず初めに
皆さんにお詫びをさせていただきたいと思います
このホームページは パソコンで入力しているのですが
昨年 パソコンの調子が大変悪く 壊れる寸前かと思う時期がありました
もし 私が突然投稿をしなくなることがありましたら
その時は
「あぁ パソコンが壊れてんなぁ!」
と思っていただければ幸いです
とお伝えをさせていただきました
ですが
その後 調子はおかしいものの 投稿ができる状態でした
ところが
最近また非常に調子が悪くて・・・
入力していると カーソルが再々とんでもないところにピヨ~ンと飛んでいき
5000文字程入力したのに 気付けば 一番初めの文章まで飛んでいって
「も~ いや~!」
「やめて~!」
となっております
又
同じ字や 同じ言葉が 自動的???に連続して入力されたり・・・
字のサイズを変更していないのに ある部分だけが 最小のサイズになっていたり・・・
字のサイズを大きく変更しても 元より小さくなってしまう・・・
などなど もう滅茶苦茶になっております
何より難儀なのが
それらの事の殆どが パソコン上では表現されず
私はお気楽にそのまま投稿し
後でスマホで確認すると とんでもないことになっていることがあります
本当にお見苦しくて申し訳ありません
少し前まで あまり調子が悪くなかったので すっかり油断しておりました
それとは別に
誤字脱字に関しては 唯々私の力不足です
お恥ずかしい限りです
投稿するまでには 何度も確認するのですが
なんせ
本人が入力して
本人が確認するので
間違いを読み飛ばしているようです
パソコンには 間違いを指摘する機能があるのですが
以前から壊れていまして
間違っている部分だけでなく 全文に赤線が引かれてしまうので
なんの意味もなく 目がチカチカして その機能も使えなくて 自力で頑張っております
「もう いよいよです・・・」
投稿前も 投稿後も 確認をしていますので
時には 後日気付いて訂正している場合もありますが
そのままスルーもいっぱいあるかと思います
おおよそ 日曜日の零時に投稿していますので その時にご覧いただく方には大変お見苦しいですが
「難儀なやっちゃなぁ!」
「また間違ってるで~」
と思っていただいて
皆さんの 素晴らしい読解力でお読みいただけると
非常に有り難く
嬉しく思います
こんな ダメダメな私ですが
これに懲りずに
今後とも よろしくお願い申し上げます
雅
それでは
今日の作品です
幸せの扉
この苦しみの先にある
ですが・・・
大変な世の中になってから一年程が過ぎましたが
まだまだ 万歳ができる状況ではありませんね
身近な所でも 色々な変化がありました
施設などの入り口には
マスクをされていない方の
ご入店はお断りいたします!
とポスターが貼ってあり
今となっては
「そりゃそうよね!」
と思いますが
改めて活字で見ると
施設が 一般の人の入店をお断りするなんて どう考えても異常なことで
「本当に大変な世の中になってんなぁ!」
とつくづく思います
あのポスターが剥がされる日が 一日も早く訪れることを願ってやみません
私が最近感じた以前との違いは 宅配についてなのですが・・・
玄関に出向くと
「はんこはいらないです!」
と言われたり
仕事から帰って来ると
玄関前に荷物が置かれていて・・・
まぁ 荷物が届くことは分かっているので
「もしかして 爆弾!!!」
とは思いませんが
置き配をお願いしているわけでもなく
「なんで?」
と思って
メールを見ると
玄関先に荷物を置かれた写真が添付されていて
我が家の荷物には間違いがないと分かる次第です
そして
これらの事を考えると
世界については知識がありませんが
受領の証明の命とも言える はんこを不要としたり
置き配ができるのは
日本だからなのかなぁと思ったりしています
思わぬ置き配があり
「玄関先まで吹き込む雨や雪が降らなくて良かった!」
「何より 心ない人がいて 荷物がなくなることがなくて本当に良かった!」
と思いました
私が無知なのかもしれませんが
玄関前への置き配というのは
在宅しているけれど 配達の方との接触をしないようにという意味に捉えていましたが 違うのでしょうかね?
置き配をお願いしていなくても 留守なら 自動的に置き配となるのでしょうか?
受領印が無いことや 置き配により
「荷物を受け取っていない!」
「荷物が雨で濡れている!」
などの トラブルが起きないことを願うばかりです
そして
まだまだ続くであろう受難ではありますが
こんな大変な世の中になっても
苦しい人と 苦しくない人がいるようですね
苦しくないというよりも 大変な世の中になる前より お仕事の状況が良くなった人もおられるようで
いつの世も
いつの時代も
どんな状況でも
やはり 平等とはいかないというのが 世の常ということでしょうか
勿論 私は難儀している方に含まれているのですが・・・
皆が皆 お手々繋いで平等にが理想とまでは言いませんが 改めて現実を直視した気持ちです
ですが
どんな状況の中でも 新しいアイデアを考えたり 新しいことに挑戦したりと
不屈の努力によって 成功を手に入れる方がおられるのも事実です
尊敬するだけでなく
どのような思考なのか?
どのような行動なのか?
ということを お手本にできればと思っております
私が仕事としている カルチャースクールの講師は 大変不安定な仕事で
生徒の皆さんにお越しいただけるからこそ 仕事として成立していますが
もし 今日全員の方がお辞めになったら
明日からは 即刻無職になるという
唯々 なんの約束もない危うい職業です
「恐ろしい~!」
ですが
こんな世の中になっても
最近も新しい方が続いて入会してくださり
大変嬉しく 心から感謝するばかりです
生徒と講師という 一生のお付き合いでない場合が多い関係性ではありますが
だからこそ たとえ短いお付き合いだとしても
私がお伝えできることは 余すこと無くお伝えしたいと思っています
そして
たとえ 退会されたとしても
時に遊び字を思い出していただいて
人生の楽しみの一つにしていただければ
講師としては こんなに幸せなことはないと思っております
話は戻りますが
苦しい時というのは 周りが見えなくなったり
「なんで私だけ?」
と思うのが 人の思考かもしれません
ですが
そんな時だからこそ 普段の当たり前は 当たり前ではなかったということに気づけたり
平凡な日常がどれほど幸せであったかと思えることもあるかもしれません
私も20代から なかなか人様がしない経験をしてきたと思いますが
難儀なことが起きれば起きるほど
この世には当たり前などは決してなく
平凡な日常こそが 穏やかな幸せなんだと身に染みて感じます
苦しい時 辛い時 よく思ったことは
「今はしんどいけれど これが一生続くことはない」
「この先には きっといいこともある」
と思っていました
そして
思い出されるのは
夫の余命が半年と宣告された時
夫には告知していなかったので
本人は完治すると信じて 新車が欲しいと言いました
私は運転ができないので
義父は 私と残される我が子達を気遣い
「納車の日まで命があるかも分からないし お金をドブに捨てるようなことはしてはいけない」
と言われました
でも
私達の先のことは分からないけれど 夫の希望を叶えてあげたいと思いました
「生きている者は この先又いいことがあるかもしれないけれど 〇〇さんにはもうこれが最後の望みだから」
と義父に言って新車を購入しました
決して 我が家がお金持ちであったわけではありません
夫が他界した後の 金銭的な不安がなかったわけでもありません
でも
表現がとても難しいですが
夫の この世での最後の希望は お金に換えることはできないと言ったらいいのでしょうか
たとえ
我が家にとっては かなりの大金であっても 夫の最後の希望を叶えてあげられるのは この世でただ一人 私だけなのだと思いました
約30年前のことなので お医者様から まだまだ告知の許可がおりない時代でしたが 夫にとって本当にそれでいいのかと悩んだ日々もありました
でも
新車を購入したことについては 告知しなくて良かったと今も思っています
もし告知していたら 夫は残される私達のことを想って 決して車を購入することはなかったと思うからです
幸いにも 夫の余命のある間に納車され 短い間でしたが 一時退院の時は毎日車に乗り 私達も乗せ 少しは満足できたのではないかと思います
何より
車を選ぶため 沢山のパンフレットを取り寄せ 試乗し オプションを色々考え
その時の夫は 余命僅かな人とは感じられないほど
とても生き生きとして
何より楽しそうで 幸せそうでした
そして
もうすぐ 夫とのお別れが迫っていると分かっていても
その束の間の夫の笑顔を見られることが
私にとっても幸せでした
その時
私が強く思ったことは
生きてさえいれば
いいことも きっとまたやってくる
でも
死に逝く人には
もう叶わないことである
と思いました
苦しいことは誰でも嫌です
苦しいことを経験しなくていいならば
又 避けて通れるならば そのほうがいいに決まっています
ですが
それが
運命なのか
宿命なのか
分かりませんが
避けて通れないのであれば その経験を決して無駄にすることなく
人生の厳しさも
人の心の痛みも分かる
優しい人にならなければ
なんのために 苦労をして 苦しい思いをしたのかと思ってしまいます
苦しいことを経験した後の分岐点に立った時
自分も苦しい思いをしたのだから 人も苦しめばいいと思うのか
自分が苦しい思いをしたのだから 人には優しくしてあげようと思うのかで
その後の その人の人生はきっと大きく変わると思います
せっかくの苦労が水の泡にならないように・・・
修行のような苦労をしたことが 自分の心のステップアップになればいいなぁと思っています
そして
世の中は まだまだ苦しみの真っ只中であることには違いがありません
ですが
今日の作品のように
この苦しみの先には
きっと
幸せの扉があると信じて
何事も諦めず
日々の生活を真面目に
そして
楽しんで
過ごしていきたいと思います
皆さんにとって
素敵な一週間でありますように
それでは
また日曜日にお逢いしましょう
雅