晴ればかりではないけれど・・・

ずっとやまない雨もない

 

今日の作品

晴ればかりではないけれど 

雨ばかりでもない

やまない雨がないように

心の晴れ晴れきっとくる

ですが

ストレートに読むと

晴れが良くて 雨が良くないとも解釈できますが・・・

 

そうではないと言ってしまうと

作者として 身も蓋もないとお叱りを受けそうですが・・・

 

現実では 同じ人でも 晴れてほしい時もあれば 雨が降ってほしい時もあります

いいお天気というのは 晴れという意味ではなくて 人によっても違うということではないでしょうか

 

明日が遠足や運動会なら 晴れがいいお天気でしょうね

できれば結婚式も晴れたほうが いいお天気として喜ばれるでしょう

でも もし雨が降っても

【雨降って地固まる】と言う 素敵な言い伝えを使われることもあります

作物を育てている方には 雨が降ってほしい時もあれば 晴れてほしい時もあるでしょう

 

同じ梅雨でも 雨が続くと 梅雨の晴れ間には せっせとお洗濯物を干します

雨の降らない梅雨は 空梅雨なのだから お洗濯物を干せて喜ばしいことなのに ちょっと雨が降ればいいのにと 勝手なことも言ってしまいます

 

同じ出来事でも

状況や見方によって 真逆になることもしばしばです

 

人生において

生まれてから亡くなるまで

100% 良いことだけの人はいません

そして

100% 悪いことだけの人もいません

 

でも 同じ状況が起きたとしても

幸福度と 不幸度という物差しがあるならば

人によって 感じ方の目盛りの度合いは きっと違うと思います

 

辛いこと 苦しいことが続いたら

「なんで 私ばかりが」と思うのが 人の心だと思います

そして

良いことよりも 悪いことのほうが 何故が続いて起こる時もあります

そんな時は 益々

「私ばかり なんで不幸なの・・・」

と落ち込むこともあるでしょう

 

辛いという思い 苦しいという思いは

本人以外には 100%理解することは困難です

 

だから

少しでも 心が軽くなるように

我慢することなく

泣いてみたり

叫んでみたり

暴れてみたり

(これはちょっと限度の問題があるので 椅子に座って 「ほんま いやや~!」と 頭と手足を最大限に振るというのはどうでしょう)

 

いい子ちゃんになんかならなくていいと思います

辛い時や 苦しい時には 心と体が傷ついているのだから ジタバタしたらいいのです

いや 周りに驚かれても ジタバタしないと駄目なのだと思います

ジタバタしないと 私みたいに 数々の病気になってしまうのです

どうか ジタバタして 心と体を守ってください

 

あとは

一人の時に 自分の頭を自分でなでなでして

「私は偉いな! 凄く頑張っているよ!」と 精一杯 自分で自分を褒めてあげてほしいです

笑われるかもしれませんが 私は本気で言っています

 

誰にも褒めてもらわなくてもいいんです

勿論 褒めてもらえる人がいれば それはとても幸せなことです

でも あの人に褒めてほしいと期待をしても あの人は私ではないから 私の思うようにはならないかもしれません

 

自分が頑張っていることは 自分が一番知っているので 徒労に終わるかもしれない 淡い期待を人にするよりも 気の済むまで そして 心が落ち着くまで 自分で自分を労って なでなでしてあげてほしいです

初めは違和感があるかもしれませんが

私は 自分を認めてあげることは とても大切なことだと思っています

 

そして

できれば

幸福度の物差しの目盛りを 少しでもアップさせて

不幸度の物差しの目盛りを 少しでもダウンできれば

少なくとも 昨日よりは 少し幸せです

 

魔法のようには 一瞬にして 万事解決とはいきませんが

ほんの少しづつでも

心が快晴に近づいていければいいですね