優しい顔 

子どもの瞳に映っているかな

 

私は 生徒の皆さんからよく聞かれる質問があります

質問数第2位が

「どうしたら早く遊び字が上手くなりますか?」

という質問です

この答えは 非常にベタですが

「一枚でも多く作品を書くことです」

とお答えしています

 

そして

質問数第1位は

「先生は 書道は何段ですか?」

という質問です

この答えは

「・・・・・」

「・・・・・」

「聞かんといて~」

なんです

 

私にとって一番悩ましい質問だからです

何故なら 書道を習ったことがないので 当然段どころか 級も持っていないのです

「それで仕事をしているの?」

ということなんですが・・・

「そうなんです」

「厚かましくて 申し訳ないです・・・」

 

やはり 書道を学ばれた素晴らしい先生は 圧倒的な書道としての基礎がある上に 更に才能があり その上で字を崩されるので 私とは全く違います

私は今まで ただただ作品を書いてきた結果が今日であるだけで きちんとした書道としての基礎があるわけではないので 色々な部分で未熟です

でも 書道は素晴らしいと思っていても だからと言って 今から書道を習うのは 私の中の選択としては ちょっと違うのかなぁと思っています

 

ややこしい話になりますが

小学校の時 習字ってありませんでしたか?

習字と書道の違いは

習字は 教科で言えば国語で お手本通り 美しい字を書くこと

書道は 教科で言えば美術で 自分の個性で 文字の美しさを表現するという 芸術性が重視されるということではないでしょうか

 

私は 5年生6年生と 習字を習ったことはあります

まさしく お手本通り美しい字を書くというお稽古でした

個人教室だったので 級や段があるわけでもなく 又教材として お手本となる本があるわけでもなく 毎回 先生が半紙に書かれたお手本の上に 白い半紙を重ねて なぞり書きをするというお稽古でした

 

先生は おじいちゃん先生でした

でも 今からすると 親よりだいぶ年上というだけで 思っているよりお若かったのかも・・・

もしかしたら 今の私くらいだったのかも・・・

 

男の先生だったけれど 子どもながらに 女性的な とても美しい字を書かれる先生だと思いました

美しいというより 柔らかくて 優美な文字という方が的確かもしれません

私は その先生の字に 凄く惹かれて 憧れる気持ちがありました

たぶん 今の私の遊び字に対して 究極に憧れる字の原点だと思います

だからこそ 書道を学んで 字体を変化させたくないという気持ちがあるのかもしれません

 

そして

私が その教室で学んだのは 習字だけではありません

何故かとても可愛がっていただき 毎回お稽古が終わったら 私だけ残ってと言われ 奥様が カルピスとお菓子を出してくだざるのです

春 夏 秋は カルピスとお菓子

冬は ホットカルピスとお菓子を出してくださいました

 

そして カルピスとお菓子をいただいた後は

決まって 貝覆い(かいおおい)をするのです

皆さん 貝覆いをご存じですか?

 

平安時代の貴族の遊びの一つなのですが

大きなはまぐりの貝殻の内側に 源氏物語などの優美な絵が描かれ 金色が多く使われ とても華やかで 十二単を纏った美しい女性や殿方が登場するという 平安時代の雅の世界を彷彿とさせる煌びやかな遊びです

そして 貝殻はぴったりと合うものは一つしかなく 美しい絵を伏せて 貝の大きさや模様で一対となるものを探し当てるという 現代で言うところの トランプの神経衰弱のようなものです

 

私はこの遊びがとても好きで 時間を忘れるほどでした

年を重ねた今となっても この貝覆(かいおおい)というときめく遊びを超えるものはありません

畳一面に広がる 多くの貝の内側には 色鮮やかで美しい 雅な世界が待っています

そう想うだけで 今でも心がときめくのです

又 高価なお品なので 桐箱に入っていて 決してぞんざいに扱ってはいけないと思いました

 

小学生でこの遊びをたしなむことができたのは 私の人生の財産です

そして

私は 小学生の頃から 何故か という字がとても好きでした

雅という字も

みやびという音の響きも好きで仕方がありませんでした

小学生なので 雅という字の意味をきちんと理解していた訳ではないでしょうが

やはり 貝覆いをたしなませていただいた雅な経験が そう思わせたのかもしれません

だからこそ 私は 本を書く時のペンネームも なんの迷いもなく 雅としました

 

そして

貝覆いの遊びをすると これまた何故か 小学生なのに とても懐かしい気持ちになるのです

だから

いつの頃からか 平安時代に歌を詠むという前世が 私にあるのかなぁと 本気で思ってきました

 

それから

この先生のことが とても好きでした

好きと言っても 私は小学生で おじいちゃん先生と思っているので 当然ながら恋愛という意味ではありません

優しいお人柄が とても好きだったのです

 

私が6年生の時 1年生の男の子がお稽古に来ていたのですが この男の子はいつも来ると 必ず お座布団の上で寝るのです

寝るというのは ごろんと寝転がるという意味ではなくて 熟睡するのです

周りの子が

「先生 〇〇君が寝ています!」

と言うのですが

先生はいつも

「寝かしといてあげなさい」

と言われます

勿論 男の子に 注意したり 怒ったりはしません

たぶん 男の子のお母さんに伝えられることもなかったと思います

 

先生は知っておられたのだと思います

その男の子にとって その教室が 何もかも忘れて 唯一落ち着いて寝ることができる場所であるということを

その男の子はとってもおっとりしていたけれど お母さんは快活で ちゃきちゃきした方でした

お母さんはイライラするのでしょうね

男の子はよく怒られていました

 

先生も きっと分かっておられたのではないかと思います

だからこそ いつも好きなだけ寝させてあげたのだと思います

男の子はやってくると 本当に電池が切れたとばかりにすぐに眠り 1時間ほどすると ムクッと起きて習字を始めます

 

私は子どもながらに 胸が痛い思いでした

そして

優しさとは 何もかもを明らかにすることではなく 嘘はいけないけれど 守ったり 励ますためにつく嘘は優しさであり 許されることだと思いました

 

先生に 言葉として教えられたことではないけれど

私にとって この習字教室は

優美な文字を学んだだけではなく

貝覆い(かいおおい)という 華やかで 雅な世界をたしなむことができたところ そして 子どもの私に 高価な貝覆いを惜しげもなく触れさせていただいたところ

人の優しさとは 発する言葉だけではなく そっと見守るという優しさもあると学んだところです

 

今の私があるのは

そして

今の私の 遊び字という作品制作の原点は間違いなく この教室です

先生は 私が若い時に 残念ながら他界されましたが

先生には 今の私の仕事を見て頂き 感謝の気持ちをお伝えしたかったです

「天国の先生が 喜んでくださっていたら 嬉しいな」

 

今日の作品

優しい顔 

子どもの瞳に映っているかな

ですが

先生の優しいお顔は きっと 私や 多くの生徒の瞳に いつも映っていたのだと思います