暗い人生
皆さん いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきましてありがとうございます
皆さんにはお変わりなくお過ごしでしょうか
我が家の方では 先週前半は
「真冬なのに ポカポカする~!!!」
な~んて思っていたら
週末になると
「さぶ さぶ さぶいーーー!!!」
と一気に寒くなりました
明日から二月なので 寒くて当たり前なのですが・・・
皆さんのお住まいの方は如何ですか
全国的には 雪が心配な方面もありますね
私は雪に慣れていないため 年に数度降るか降らないかの雪が降ると 朝窓を開け
「転んだらどうしよう!!!」
と のんきな私には珍しく ちょっとピリッとした気持ちになります
皆さんのお住まいの方面が ご無事でありますようにお祈りしております
それでは
今日の作品です
明るい人生 暗い人生
曲がり角 信号に注意
ですが・・・
明るい人生 暗い人生とは
それぞれ どういう人生でしょうか
私が思うそれぞれの人生とは
人様から見て
幸せな人生 不幸な人生という意味ではありません
しいて言い換えるならば
自分が
楽しめる人生 楽しめない人生
が一番近いでしょうか
嬉しいことが起きたり
悲しいことが起きたり
素敵なことが起きたり
難儀なことが起きたり
と 生きている限り 誰しも色々なことが起きます
ですが
時には
難儀なことばかりが続いて起きるというのも事実です
これについては
私は本が書けるのではないかと思うくらい そういう時期がありました
人生には何度も転機があるのでしょうが・・・
私は結婚するまでは
お金のないお嬢さんでした
家がお金持ちではないけれど
料理も 掃除も 洗濯も 全て母がしてくれていて 仕事から帰って来たら
「いただきま~す!」
と言って夕食を食べるだけという 花嫁修業もしないダメダメな娘でした
本当になんの苦労も知らない私でした
ところが
結婚を機に 人生はだいぶ方向を転換しました
勿論結婚をしたことは幸せで 我が子達も授かることができました
来世があっても 夫と巡り逢いたいと思っています
ですが
夫との縁がとても薄かったようで 僅か5年という結婚生活でした
そこから
怒濤の勢い
で 難儀なことが続いて起きました
昔の話ですが
私には弟ができる予定でしたが 残念ながら死産でした
父は 息子がいなかったこともあり 夫のことをとても可愛がっていたので
二人でゴルフに行き
二人でお酒を飲みに行き
息子とできなかったことを 夫が叶えてくれました
ゴルフ場などでは
「婿です!」
ではなく
「息子です!」
と言っていたようです
それ程嬉しかったのでしょうね
そして
私も嬉しかったです
とても可愛がり
本当の息子のように思っていた婿に先立たれ 父はどれ程悲しみの淵に落ちたことでしょうか
夫が他界した1年後 脳の病気で倒れて 生死を彷徨い そこから18年間介護の必要な体となりました
父にとって 夫が他界したことは 私の想像を絶する苦しみであったと思います
婿が早々と他界したこと
そして
娘と孫達には これから先 どれ程の苦難が待ち受けているかと 胸がえぐられる気持ちであったのではないかと 娘としては 父の心情は察するに余りあるという思いです
夫が他界しても実家には戻らず 独立した生活をしていましたが 実家から近かったため 両親と祖母には大変世話になりました
ところが
夫が他界して1年後
父が倒れたことで 状況は一変しました
長い間昏睡状態だったのですが 家族の付き添いが必要で・・・
でも
乳飲み子を抱えている私には 病院に泊まることはできないため
母と 祖母と 遠方に嫁いでいた妹と 父の姉である伯母の四人が ローテーションを組んで 病院で寝泊まりし 24時間看護をしました
その代わり 私は実家の食事を作る担当をし 毎日大きなお弁当箱に沢山のおかずを詰め 家族が食べられるように準備し 家族が取りに来たり 私が自転車で届ける日々でした
今までは 世話になっていたのが 及ばずながら世話をしないといけない立場となりました
ところが
一つ歯車が狂うと どんどんと難儀なことになっていきます
話は 夫のことに戻りますが
30年前のことですので 今では考えられませんが お医者様から 夫には病気の告知も余命も知らせてはいけないと言われていたので 夫の背中を見て泣いても 夫がこちらを向いた時には ニコッと笑顔でいなくてはなりません
20代の私は その重圧から
髪の毛がどんどん後退し額が広くなりました
夫の余命は長くて半年と言われましたが なんの約束もありません
毎日 お別れは今日か明日かと思いながら 子育てをしていました
きっと大変だったのでしょうが それでも ご近所の方がいつも助けてくださり 子どもを預けて遠かった夫の病院に行ったことも度々ありました
「〇〇ちゃん達見ててあげるから その代わり おせち料理作って!」
と言われ
その方のお家の分 実家の分 我が家の分 神棚の分と 三段のおせちを四つ
入れ物が 12個あって
「仕出し屋さんみたい!」
と思った懐かしい思い出もあります
ですが
私の精神状態はきっと普通ではなかったのでしょうね
私のピリピリした気持ちが子どもにも伝わっていたと思います
末の子どもを出産し 二週間程で夫は入院しました
病院に行くために 生まれたての我が子は 寝ているのに起こされ 赤ちゃんとしての睡眠の確立ができず 夜中は30分置きに泣き 授乳をしました
そのため
とても変な話ですが
私は 真冬でも 朝起きるといつも上半身が裸でした
あまりに疲れて 30分置きの授乳後 服を着る力も残っていないのです
夫が他界してからも 昼も夜も眠れないという日々が続くと 病気にならないわけがありません
今では考えられませんが 体重も30キロ台だったので 免疫力も下がり 子どもが病気になると 必ず私も感染し 子どもしかならないかと思っていた手足口病になったり 子どもが風邪を引き 水薬の瓶を振ると 動悸がしてとてつもなくしんどくて 病院に行ってみたら 即入院!
血液検査の数値がとんでもないことになっていて お医者さんに普通の生活をしていたことに驚愕され 難儀な病気が既に半分過ぎていて ピークは越えていると・・・
そこから 1ヶ月間入院しました
夫が他界してから1年半後
父が倒れてから半年後のことです
もうそこからは
子どもが二人同時に入院するわ!
私は よろしくないものが見つかり それでも
「子ども達がいるので入院できない!」
と言って ごまかしごまかしお腹に注射をしてもらっていたけれど
先生から
「もうこれ以上無理!」
と言われ手術し
そして
子どもの一人が 生まれつきのもので 今すぐには大丈夫でも 将来的にはよろしくないと言われ手術し
それから
「あなたは難病です!」
「原因の分からない病気で 今の医学では完治することはないので 一生付き合って行きましょう」
と言われ 難病になるわ!
そしてそして
「お腹を開いてみないと 悪いものかの判断ができない!」
と言われ 手術し・・・
「一体私は どれだけの臓器が無くなるの?」
と思ったほどです
悪いことは重なるなんて言葉がありますが
それにしても多すぎないでしょうかね・・・
夫が他界し
父が倒れて
そして
私と我が子に起こった色々な出来事の殆どは
夫が他界してから 僅か3年以内に集中して起きました
母なので 我が子に起きることには 胸が塞がる思いになりますが
自分のことには
「またか!」
「まぁ この生活では病気にもなるか!」
と思ってみたり
何より
皆さんにはおかしく聞こえると思いますが
私には 毎年フルマラソンに出場し 病気一つしたことのない夫が命を落とすことが不思議で不思議で・・・
でも 我が子達に そして 生まれたての末の子どもには 絶対に母親は必要と思って 丈夫ではなかった私の身代わりになってくれたのではないかとずっと思っています
だから 私は一度に命を落とすことはなくても 病気は小出しに! 小出しに! 発病するのかなぁと思っています
あの集中して病気になってからも 今日まで 再々に新しい病名を告知されて・・・
「また!」
「それって どんな病気?」
となっております
常に前向きな私にしては 珍しく後ろ向きな発言に聞こえるかもしれませんが
そうではなくて
人様からはおかしく思えても
夫が身代わりになってくれているので
「私は今日も生きているんだ!」
という気持ちが根底にあるので
なんと言いますか
たとえ病気になっても
「そりょそうよね! 小出しよね!」
と思って受け入れているという感じです
「私って おかしいでしょ!」
でも 本人は 笑っているので
「おかしなやっちゃなぁ!」
と思って笑ってください
でも
私は 夫が他界したこと 自分が数々の病気になったことで 色々な学びを得ました
人生の時間は無限ではなく 有限であること
夫が亡くなった時
「人は死んでしまうものなのだ」
と思いました
「何を今更!」
そうなんです
「何を今更!」
なんです
そんなこと 子どもでも知っています
ですが
私は 子どもの頃 祖父や叔父が亡くなったことはあっても 身近な家族が亡くなるのは初めてで
人が亡くなるというのは もう逢えないという 当たり前ではあるけれど 私にとっては当たり前ではない こういうことなのだと 絶望や現実を痛感しました
そして
この世には どんなに努力をしても決して叶わないことがあることも知りました
それは人の生死です
勿論 スーパードクターに命を助けてもらったというお話も聞きますが
寿命の問題ではなくて 人は生まれてきたら必ず死ぬということです
私は それまでは 何事も努力をすれば出来ると思っていました
どちらかと言えば 体育会系の根性論みたいなものかもしれません
ですから
出来ないのは努力が足らないと思っていました
一番分かりやすい例は
私は学生時代 勉強は努力してこなかったので 得意ではありませんでした
「はい 納得しとりますよ!」
でも
夫が他界したとき
「この世には どんなに頑張っても どんなに努力をしても 人の生死はどうすることもできないんだ」
と分かりました
当たり前のことなのですが 本当の意味で 私は人の生死が分かっていませんでした
色々なことを経験し 又 30年以上未だに悩ましい問題があります
これについては 私サイドでは解決ができないので 本当に難儀です
私がどんなに努力をしても 相手のあることは どうしようもないからです
ですが
色々なことを経験したからこそ 今がとても幸せです
その時と比べて幸せという意味ではなくて
今が幸せなんです
色々なことを経験したからこそ ある日突然作品が舞い降りてくるようになり
自分では天職と思える仕事に巡り逢えたこと
持病があっても 今日は元気で入院もしていない
家族全員が元気で過ごせている
見えて 聞こえて 話せて 歩けて 食事もできる
お金持ちではないけれど
明日食べるお米がないわけでもなく
もう十分なんです
足りているんです
今のこの平凡に思える生活が幸せなんです
そして
夫の余命宣告を受けた時
もしかしたら 今日今この瞬間に 夫が命を落とすかもしれないことに比べれば その他のことは全て 大したことではないと思いました
夫が一日でも たとえ一秒でも長生きしてくれるならと思うと 何が起きたとしても 全てのことは許せるとも思いました
自分としては 良いか悪いかは別として
違う境地に行った感覚です
それからは 人様のためではなく 自分のために
許せるものは
許したほうが自分が楽
という気持ちになりました
たとえ裕福であっても 非凡であっても 人様から羨ましがられても
本人が楽しめる人生でなければ
それは 暗い人生かもしれません
たとえ裕福でなくても 平凡であっても 人様から羨ましがられなくても
本人が楽しめる人生なら
それは 明るい人生かもしれません
幸せか不幸せかは
自分が決めるのだと思います
他の誰でもなく
自分しか決められないと
私は思っています
そして
人生には
時には
曲がり角や 信号に行き当たることもあるかと思います
曲がり角は どちらの道に進むか選ばなくてはなりません
信号は
青なら どんどん真っ直ぐ進み
黄なら 進むか止まるか判断し
赤なら 止まって一度見直す
人生は毎日毎日
一瞬一瞬が 選択の連続です
今ごはんを食べようか?
今お風呂に入ろうか?
という 日常の生活から
人生を左右する程の選択まで
時には 二択ではなく 三択四択五択から 厳しい選択をしなくてはならないかもしれません
それが生きることだと思います
人生の時間は無限ではなく
有限であるならば
どうでもいいことには
時間を費やさないでいよう
どうでもいい感情には
振り回されないでいよう
と私は思います
例えば 電車やホームなどの狭い空間で 人とぶつかったとします
自分はぶつかっていなくて 完全に相手がぶつかってきたとしても
「ごめんなさい!」
と言えば その出来事は終わります
たとえ自分に非がなくても・・・
でも
「相手がぶつかってきたのに なんで謝る必要があるの?」
という感情になってしまったら
「ぶつかってきたのに 謝りもしなくてムカつくわ!」
と そのイライラする感情が 半日 もしかしたら一日 またまたもしかしたら 何日経っても時折思い出されて
再度
「ムカつくわ!」
が再来するかも・・・
私はそれが嫌なので
「ごめんなさい」
と言います
いい人だからではありません
人生において
どうでもいい負の感情に振り回されるのが嫌だからです
負の感情を持つことで
有限である大切な人生の楽しみの時間が減ることが嫌だからです
「ごめんなさい」
と言って 相手が何も言わなかったとしても たとえ無視されたとしても
もしかしたら こちらが謝ったことで ご自分は悪くないと思って謝らなかったとしても いいんです
自分が謝ったことで その出来事は完結するから!
結局の所
自分中心で 自分で自分の機嫌を取り どうでもいいことには心を煩わされず 自分が楽しいと思うことに 大切な自分の人生の時間を使いたいということです
そして
30年以上 未だ解決できない問題があるので それ以外のことには煩わされたくないというのが本音です
私は 今日も明るく 平凡で足ることを知り 笑顔で楽しく過ごしたいと思います
それから
時にやって来る
曲がり角や 信号にも注意して
最適な取捨選択ができるように
そして
無限では決してない
自分の大切な有限な人生を
どうでもいいことに支配されず
毎日を楽しく
明るい人生を過ごしていきたいと思います
皆さんにとって
素敵な一週間でありますように
それではまた~
雅