許せるなら・・・

 

皆さん

いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきましてありがとうございます

皆さんにはお変わりなくお過ごしでしょうか

 

我が家の方面は

まだ梅雨入りはしておりませんが

「もう六月になったのね!」

と月日の流れの早さに驚いております

 

もうすぐ梅雨がやってきて

今年も酷暑と言われているので

ヘロヘロになりそうな真夏がやってくるかと思うと

 

「栄養をつけないと・・・」

「お肉?」

「鰻?」

「ダイエットなんてしている場合ではない」

と本当はダイエットなんて

一切していないのですが

 

気持ちの上でダイエットはせずに

「元気の出るものを食べなくては!」

と相変わらず

食べることに頭がいっぱいの私です

 

私のバカバカしい話は置いといて

ニュースで

手足口病が

関西で警報レベルになっていると聞きました

 

本来は五歳以下の子どもがなるのでしょうが

免疫力が低下していると

大人でも感染し

重症化することもあるようです

 

まさしく私が

30年以上前

夫が他界したのち

心身共に弱っていて

 

子どもから

手足口病が感染して

子どもより酷くて長期化し

難儀したことがありました

「手足口病って 子供のなる病気じゃないの?」

と思った記憶があります

 

前にもお話ししましたが

その頃の私というのは

幻の30キロ台で

医師より血液検査で

「飢餓状態ですよ!」

と言われ

今の体形から想像もできないほど

スリムな頃の話です

 

その後

急性肝炎になり

幼子を残して入院なんてできないと思って

フラフラでも我慢していたら

医師より

「こんな状態で生活しているなんて考えられない!」

「一番悪い頃を半分くらい終わっている!」

と言われ

即刻入院となりました

 

原因は

伝線性単核球症で

一か月程入院しました

 

肝生検という

肝臓に針を刺して

肝臓の組織の一部を採取するという検査をすることになり

 

今まさに

医師が針を刺すという時に

看護師さんが

「先生 原因が分かりました!」

と走って来てくださり

「伝染性単核球症です!」

と言われ検査が中止となりました

 

「ドラマかしら?」

と思うくらいの

ギリギリの展開

お陰様で痛い思いをせずに済みました

 

話は戻りますが

免疫力

抵抗力が弱っていたら

何一つ良いことはないと

その時思いました

 

栄養は

生命維持のため

臓器から使われて

髪やお肌は後回しなんて聞きますが

 

当時飢餓状態だったのは

決してダイエットしていた訳ではないのですが

とんでもないことになると実感したので

「痩せるのはちょっと怖いこと!」

という気持ちが

少なからず刷り込まれていると思って

ダイエットができない言い訳にしております

ははは~

 

これから暑い日々がやってきます

皆さんも

どうぞご自愛くださいね

 

 

それでは

今日の作品です

許せるなら

許した方がきっと楽

ですが・・・

 

何かがあった時

ちょっとモヤッとしたり

イライラしたり

時には

頭が火山の如く爆発して

「絶対に許せん!」

という気持ちになることもあるかもしれません

 

烈火の如く怒るというのは

人生でそうないかもしれませんが

ちょっとした

モヤモヤする気持ちというのは

誰しも日常であるのではないかと思います

 

相手のためというよりも

自分のために

許せるなら

許した方がきっと楽になり

怒りに囚われてはいけないと

分かっていながらも

腹立たしいと思うのが人だと思います

 

 

話はガラッと変わりますが

私は言葉を扱う仕事をしているので

ちょっと変わっているのかもしれませんが

時に

言葉の意味を

掘り下げて考えたいという

衝動に駆られることがあります

 

過日のことですが

ある日

<所詮は他人>

という言葉が

とても気になりました

 

皆さんは

この言葉の印象をどう感じられますか?

私は

冷たいような

突き放したような言葉という印象です

 

私はこの言葉を

人生で使ったことはなく

人に言われたこともないのですが

ドラマのセリフとして

聞いたことはあります

 

夫婦がギクシャクした時に

「夫婦なんて 所詮他人やから!」

とか・・・

 

姑が

溺愛する息子を

嫁に取られたと思って

「嫁なんて 所詮他人やから!」

とか・・・

 

そして

その先に

夫が妻を庇うのではなく

母親を庇ったならば

妻は夫に

「夫婦なんて 所詮他人やから!」

と捨て台詞を言って

泥沼になっていくという展開

 

いずれにしても

良い言葉ではなく

たとえ心の中で思ったとしても

口に出して相手に言う時は

余程の覚悟がないと

言えない言葉ではないかと思います

 

「そう思います」

「そう思っていました」

「そう思っていたのですが・・・」

 

所詮は他人

というこの言葉

今後私が

人から言われるかどうかは

私の範疇ではないので分かりませんが

 

私は今後も

人様に向かって

この言葉を発したいとは思いません

 

ですが

人に向かって言うのではなく

自分の意識や

その状態を自ら観察するという

内観ということについては

むしろ

役立つ言葉ではないかと思いました

これが深堀りしたいという理由です

 

所詮は他人

所詮とは

否定的な言葉を伴って

結局はとか

結果として行きつくところは

ということではないかと思います

 

そして

他人とは

所詮が前につくと

血縁関係がない人というのが

一番初めに思い出されて

 

次に

家族でない

夫婦でない

親族でない

恋人でない

親友でない

友達でない

知人でない・・・

と段々と

関係性が緩やかに

遠くなっていくように思います

 

分かりにくい説明ですみません

 

ですが

他人と言う言葉を

所詮を外して

他人単体で考えた時は

 

ちょっと意味合いが変わってくるように思います

血縁関係や家族以外という括りでなくなり

 

他人は

他の人

自分以外の人と考えた時

 

所詮は他人と言う言葉が

否定的より

むしろ

内観に役立つ

肯定的な言葉として感じられるようになりました

 

所詮は他人という言葉

他人というのは

自分以外の他の人

 

たとえ

痛い思いをして産んだ我が子であっても

自分ではないので

自分以外の

他の人である

 

当たり前のことですが

自分以外は

自分ではないので

理解できないことがあったり

理解してもらえないことがあるというのは

むしろ

当たり前であると

考えることができるようになりました

 

そう思うと

分かり合えることは

とても幸せなことだと思います

 

ですが

世の中の全ての出来事が

「所詮他人やから!」

と言う言葉で万事解決するとは思っていません

 

それでも

烈火の如く怒り狂うような出来事でなければ

お人によっては効果があるかもしれません

 

言葉としては

所詮は他人ですが

言い換えるとするならば

所詮は私ではないので

お互いに理解できないことがあって当然

ということです

 

そして

私は現実に

この言葉にとても救われております

 

何かモヤッとすることが起きた時

外では心の中で

(所詮他人やから!)

 

自宅では声に出して

「所詮他人やから!」

と言うだけで

心がスーッと落ち着きます

 

この言葉について考えるようになったのは

つい一か月程前なのですが

 

長い人生で初めて感じる

辛くて苦しい出来事がありました

ですが

心配をかけるので

家族にも相談ができませんでした

 

このホームページは

家族は見ていないので

皆さんにお話ししているのですが

 

ショックが大き過ぎて

あまりに辛くて

出来事が起きてからの数日は

何も考えられず

立っていることも難しいほどでした

 

正直

ホームページを

暫くお休みしようかと思いました

 

ですが

そうしてしまうと

ズルズルと

気持ちが良くない方向に行きそうなので

精一杯頑張って

続けることにしました

 

続けたことで

いつも拙い長文をご高覧いただいている

皆さんが

どれほど私を助けてくださっていたかということに気づきました

本当にありがとうございます

心より感謝を申し上げます

 

体は元気で

どこも悪くないのですが

胸が張り裂けそうな気持ちになり

辛くて苦しかったです

とはいえ

恋愛事ではありませんよ

 

短い間だったとはいえ

苦しさにもがいていた日々でしたが

ある日

目の前がパ~っと明るくなったように

所詮は他人

と言う言葉が

遊び字の作品の如く

ふわっと

舞い降りてきてくれました

 

そこから

「なんで 所詮は他人と言う言葉が舞い降りてきたの?」

「所詮は他人とはどういう意味?」

となって

 

自分の心を見つめることができ

心が救われて

あれほど

胸が張り裂けそうだったのに

平穏を取り戻すことができました

 

遊び字の作品を書いていて

言葉というのは

人を傷つけることもあれば

人を救うこともあると

分かっていたはずなのに

その言葉に救われ

改めて

言葉は偉大であると

感謝の気持ちでいっぱいです

 

長い人生では

「絶対に許せない!」

と思うこともあるかもしれません

 

でも

その気持ちに囚われて

支配されてしまうと

大切な自分の人生が

台無しになってしまうかもしれません

 

人を許すというのは

言い方を変えれば

相手を許す前に

自分の怒りを許すという

自分を許すということでもあるように思います

 

そして

自分を許すことができたならば

怒りという呪縛から解放され

楽になるように思います

 

所詮は他人という言葉が

辛く苦しかった時に

私に舞い降りてきてくれたのは

ある意味

奇跡だと思っています

 

そして

その言葉に救われたことが

とても幸せなことだと思います

 

今回私は

所詮は他人と言う言葉と内観により

救われたのですが

 

別の言い方をすれば

人生で経験したことのない

辛さや苦しさを手放したことで

自分で自分を許した

ということでもあると思っています

 

それによって

心が救われ楽になりました

 

言葉というのは本当に魔法で

その魔法の言葉を扱うのは人で

その言葉をどう扱うかによって

人生の行く道も変わるのだということを

今回実感しました

 

私の人生が

あとどれくらい残っているのかは分かりませんが

少しでも多く

楽しいことに使いたいと思います

 

 

皆さんにとって

素敵な一週間でありますように

それでは

また日曜日にお逢いしましょう

 

 

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