皆さん
いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきましてありがとうございます
皆さんにはお変わりなくお過ごしでしょうか
私は花粉症歴40年でして
只今受難の毎日です
先日のニュースによりますと
飛散率が昨年の12倍ということらしいです
「いやーーーーー!!!」
とテレビに向かって小叫びしました
日本は細長いですから
私の住まいの地域がどうかは分かりませんが
いずれにしても
昨年より相当飛散が多いということでしょうね
毎年症状はあるのですが
今年はなんとも酷く
当然薬は飲んでいるにも関わらず
目は取り出して洗いたいくらい痒いし
くしゃみは一度出ると連発になるし・・・
桜の開花は待ち遠しいものの
この季節が早く終わってほしいとも思います
皆さんは花粉症は大丈夫ですか?
季節の変わり目ですので
どうぞご自愛くださいね
それでは
今日の作品です
悲しみにバイバイしたら
幸せの扉の鍵がもらえた
ですが・・・
誰しも人生の中で
悲しいことというのは
何度もやってきます
同じ出来事が起きても
その悲しさの度合いは
人それぞれ違うのだと思います
そして
一言に悲しい出来事と言っても
暫くしたら忘れることができることもあれば
何年経っても忘れられないこともあります
それぞれの人の中でも
悲しみには大小あるのではないかと思います
大人として
悲しいことがあっても
我慢をすることもあると思います
ですが
私は
悲しさの大小に関わらず
自分が悲しいと思ったら
我慢せずに
悲しめばいいと思うし
泣きたければ
泣きたいだけ
泣けばいいと思っています
昔はよく
「男の子なんだから 泣かずに我慢しなさい!」
というセリフを聞きました
今でも言われているのかもしれませんが
私は
男性だから
女性だからという性別には関係ないと思っています
男性でも泣きたい時は
泣きたいと思います
泣かないのが男の美学!
というのもあると思いますが
泣きたい時に泣ける!
というのも素敵なことではないかと思います
何度か見たインタビュー記事で
今まで人前で泣いたことがなかった男性が
気づいたら
頬が冷たくて
涙が流れていることに驚いたということでした
泣きたくて泣いたわけでもなく
泣きたいのを必死で我慢したけれど
我慢しきれなかったわけでもなく
知らないうちに
ツーッと
頬に涙がつたったということです
これは
自分でも気づかぬうちに流れた涙ということで
魂が揺さぶられた
本物の涙なのではないかと思います
「男が人前で泣くなんてみっともない!」
と思っていたこの方が
自分に起こった経験にとても驚かれました
人前で泣かないのが男の強さで
男の美学とも言えるのかもしれませんが
人前でも時には泣けるというのも男の強さで
素敵なことだと思います
悲しいことが起きた時の解決の仕方は
人それぞれだと思います
その内容により
人に話せる場合もあれば
人に話せない場合もあると思います
人に話せて
聞いてもらって
悲しみが消えるというわけではないけれど
心が軽くなる場合もあるかもしれません
話はがらっと変わりますが
皆さんは夢を見ますか?
現実に夢を抱くという夢ではなくて
就寝中に見る夢です
よく夢を見るという方もおられれば
全く見ないという方もおられます
でも
本当は夢を見ないのではなくて
レム睡眠(浅い眠り)の時は
必ず夢を見ていますが
ノンレム睡眠(深い眠り)の時に
目が覚めると
夢のことを忘れてしまうそうですね
睡眠は
浅い眠りと深い眠りが
一晩に交互に繰り返されますが
朝起きた時に覚えている夢というのは
最後の浅い眠りの時に見た夢らしいですね
私は
夢って本当に不思議に思います
例えば
空を飛ぶという
現実にはあり得ない夢であっても
「あ~ これって夢ね!」
と思ったことはありません
そして
一番不思議に思うのが
夫であったり
両親であったり
祖父母であったりと
既に他界している人が
夢に出て来たとしても
「え~ 亡くなったんじゃないの?」
と思うこともなく
かといって
「良かった 生きていたのね!」
と思うことなく
生きていた時と同じように接しています
何故そう思うのか分かりませんが
目覚めていつも不思議に思います
皆さんには
大変申し訳ないのですが
今日は
昨夜の私の夢の話に
しばしお付き合いいただけないでしょうか
夢はたくさん見たのでしょうが
はっきりと覚えているので
きっと最後の夢なんでしょうね
場面は
広い能舞台のようなところに夫が寝ています
ベッドではなくて
木の板のような上に
布団でもなくて
夫に
美しい衣のようなものがかけてあります
私は
その能舞台から
五段ほどある階段下にいて
夫を見上げています
どうも夫の最期の場面のようです
夫の傍に
女性医師と思われる人がおられ
もう一人
巫女さんのように見える人がいました
巫女さんのような人が
女医さんと話をされ
夫の耳元で何かを話されると
「もう手の施しようがありませんが 聞こえています」
と言われました
私は
「すみません」
と言って
階段を駆け上がり
夫の傍に寄ると
巫女さんと女医さんは消えてしまいました
そして
夫の手を握ると
目はつむったままですが
握り返してくれて
とても嬉しかったです
それから
夢なので
許してください
私は
もうこれが
夫との最期の時間と思って
夫にくちづけをしたら
言葉ではなく
心に
「もう行きや」
と響いて
夢は終わりました
その時すぐに目が覚めたという感じはしなかったのですが
目覚めた時
左目から
涙がツーッと頬をつたいました
皆さんに
「なにそれ?」
「なんの話?」
と言われそうなのですが・・・
実は
夫は他界前入院していて
突然のことだったので
最期に逢えなかったんです
仕方のないことなので
そのことが後悔するという意味ではないのですが
やはり
最期は一緒にいたかったという想いは
30年が過ぎた今でも変わりません
それが
昨夜
夢の中とはいえ
体験できたのです
人の臨終の夢なんて
悲しい以外のなにものでもないと思われるかもしれませんが
私にとっては
ただただ
幸せでしかない夢でした
だって
この世では二度と逢うことのできない
愛しい人に
夢の中で逢えたのですから
皆さんに
笑われそうですね
いやいや
呆れられそうですね
でもでも
私はとても幸せでした
そして
夢なのですが
起きた時に
思わず頬をつたった涙は
どんな感情の涙なのかと思いました
起きて夢を思い出して
涙が流れたのではなくて
起きたのと同時に涙が流れたので
夢の中の感情による涙だと思います
何故涙が流れたのかと考えた時
自分では感じていなかったけれど
この30年間
悲しかったのか
それとも
夫との最期が
夢の中とはいえ体験したからか
それとも
夢とはいえ
決して叶えられないことが
実現した喜びからか
私は
この30年間泣いて暮らしてきたわけではありません
自分としては
明るい母でいたかったし
泣いていても夫は喜ばないと思っていたし
色々なことがあっても
笑って生きてきたつもりです
でも
夫には生きていてほしかったという気持ちは
30年が過ぎても
同じように思い
夫を愛しているという気持ちも
30年が過ぎても変わらず想い
たとえ夢の中でも
逢えるものなら逢いたいという気持ちです
でも
たかが夢ではあるのですが
されど夢というのでしょうか
昨夜の夢は
私に一つの区切りをつけてくれたように思います
毎日悲しくて泣いていたわけではありませんが
夫と最期を一緒に過ごすことができなかったのは
後悔という大袈裟なものではないのですが
心残りであることには違いがありません
その長年の心残りが
夢の中とはいえ
実現できたと思って
もうこの心残りを手離そうと思います
皆さんに笑われるかもしれませんが
私は
夫からのプレゼントと思っています
夢の中とはいえ
夫が私の心に言ってくれた
「もう行きや」
という言葉は
夫の最期を一緒に過ごせなかったけれど
夢で実現できたと思って
心残りを手離すということ
そして
残りの人生を心残りのないように過ごすこと
そう言ってくれたように思っています
今日の作品の
悲しみにバイバイしたら
幸せの扉の鍵がもらえた
ですが・・・
悲しいことは
気が済むまで悲しんで
泣きたければ
泣きたいだけ泣いて
いつか
その悲しみを手離すことができたならば
きっと
幸せの扉の鍵がもらえるのではないかと思います
でも
その幸せの扉の鍵をもらえたからといって
幸せになれるのではなくて
幸せの扉の鍵を
その扉の鍵穴にさして
扉を開けなければ
幸せには巡り合えないということだと思います
幸せとは
人から見ての幸せではなく
自分が思う幸せでいいのだと思います
私も
夫が心残りをもう手離していいと言ってくれて
幸せの扉の鍵をくれたと思います
今でも十分に幸せなのですが
この幸せの扉を開けて
もっともっと幸せになりたいと思います
どうか
皆さんも幸せの扉を開けられますように
皆さんにとって
素敵な一週間でありますように
それでは
また日曜日にお逢いしましょう
雅
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