皆さん
いつも雅の遊び字ギャラリーにお越しいただきましてありがとうございます
皆さんにはお変わりなくお過ごしでしょうか
我が家の方では
数日前まで
ちょっと暖かいと思っていたのに
とっても寒くなりました
ですが
ニュースで大雪の地方を見ると
「寒いなんて言っていると笑われるなぁ」
と思います
どうか
大雪による事故がありませんようにと
心より祈るばかりです
寒い毎日です
どうぞ皆さんもご自愛くださいね
それでは
今日の作品です
あなたが幸せで
私も幸せ
ですが・・・
幸せというのは
人それぞれで
その想いも
その感じ方も違うのだと思います
同じ出来事であったとしても
幸せと感じる方もおられれば
幸せと感じない方もおられるかもしれません
幸せのハードルは低く
不幸せのハードルは高くと思うようにし
又
幸せの感度は高く
不幸せの感度は低くと思えば
幸せは特別なものではなく
身近なものと感じられるかもしれません
皆さんはどんな時に幸せと感じますか?
幸せの感じ方は人それぞれではありますが
私自身を考えた時
過去を振り返ると
就職
結婚
出産など
大きな喜びが幸せであったというのは間違いないのですが
もっと身近な日常で
むしろ
特別なことではなく
なんの変哲もない
平凡な日常こそが幸せなのではないかと思います
このホームページでも何度もお話してきましたが
私は20代で夫と死別し
数々の病気になり
難病にもなり
何度も入院し
何度も手術もするという
難儀なことのオンパレードだったので
病気ではなく
今日も元気だったと思うだけで
とても幸せに感じます
難儀なことが多く起こるというのは
その時は
本当に難儀なのですが
後にはご褒美のごとく
平凡であることがどれだけ幸せなのかと思えるのは
なかなか
難儀なことも捨てたものでもないと思ってしまいます
私が感動しいでお気楽だからでしょうか?
30年程前のことです
病気の子どもさんがおられるお母さんが
「元気でさえいてくれれば 他には何も望まない」
と言われました
もしかしたら
命に関わるかもしれないということでしたので
ちょっと入院されたということではなく
日々ご心配だったと思います
今は元気になられ
とても嬉しく思います
我が子が元気いっぱいだったら
「もうちょっと勉強が・・・」
「もうちょっとスポーツが・・・」
「もうちょっと才能が・・・」
と自分のDNAを棚に上げて望んでしまうというのが
親心かもしれません
ですが
我が子が命に関わるとなるならば
親としては
命以外に大切なものも
望むものもないとなるのでしょうね
私は我が子に対してではありませんが
夫が他界した時
一人は乳飲み子だったので
「どうか 我が子全員が社会人になるまで 私の命がありますように」
「それ以外のものは 欲張って何も望みません」
という気持ちでした
我が子の命を
祈る気持ちで望む母と
我が子のために
自分の命を望む母では
随分違いがありますが
今となっては
我が子達も全員30歳を超え
私の存在に関わらず生きて行ってくれるでしょう
全員が社会人になった時
本当にほっとしました
「もうこれで 私に何があっても大丈夫!」
と思い
心から胸を撫で下ろしたという気持ちと
我が子達も今日まで生きていてくれたという
感慨深い思いでした
あの日から
既に10年以上長生きしておりますが・・・
「まぁ ええことにしときます」
「ははは~」
今日の作品の
あなたが幸せで
私も幸せ
ですが・・・
我が家では
月に一回家族会をしているのですが
先日の集まりで
我が子の一人が
大人になってからは
なかなか友達は出来にくいけれど
新しい友達ができて嬉しいということでした
夫婦共通のスポーツの趣味で
ご夫婦の友達ができたということらしいです
その話から
私の話になって
「お母さんは ○○さんとはまだお付き合いがあるの?」
とママ友のことを聞いてきました
その方は
私は一生お付き合いをしていただきたい親友と思っています
誰かれには言えない
我が家の話も
私のことも
信頼して話せる方です
我が子に
「まだお付き合いしてるよ」
と言うと
「凄いなぁ!」
と言いました
よくよく考えてみたら
ママ友なので
当然大人になってからで
かれこれ30年近くなってきたということです
そう考えると
我が子の言うように
長年お付き合いをしていただいていることが
「ほんとに凄い」
と有難く思います
ママ友と言うのは
時には
ママとは気は合わないけれど
我が子のために頑張ってお付き合いをするという場合もあるかもしれません
そんな時は
子どもの成長と共に
いつしかフェードアウトとなって
「やれやれ~」
と思うかもしれません
そして
家族会での話は続き
先程のママ友が
「このホームページも 毎週見てくれてはるみたいやわ」
と言うと
「えー--それって凄いなぁ!」
と驚き
「お母さん幸せやなぁ!」
言われました
ママ友がこのホームページを
かかさず見てくださっていることは
本当に嬉しいです
つたない長文だわ・・・
バカ話だわ・・・
ですのに感謝しかありません
そして
我が子が
「あ母さん幸せやなぁ!」
と言ってくれたことも嬉しかったです
30年以上母親をしてきて
その時初めて気づいたことがあります
決して特別なことではないのですが
我が子も大人になると
親もそれなりに歳を重ね
あちらこちら痛いところが出てくるかもしれません
子どもが
歳を重ねていく親を心配して
元気でいてほしいと願うことはあると思うのですが
子どもも親に
幸せであってほしい
と思っているんだなぁと
初めて感じました
それ自体が考えられないとか
不思議に思うと言う意味ではなくて
今まで全く考えたことがないというのが
正しい表現かもしれません
子どもの幸せを願うのが
親の仕事くらいに思っていたので
子どもも親の幸せを願うということを
考えていなかったかもしれません
ですが
親が
子どもに幸せであってほしいと願うと同じように
子どもも親に
幸せであってほしいと願い
幸せであったら
嬉しいのだと気づきました
そして
今まで全く考えたことがなかったのですが
親は
子を想うだけではなく
歳を重ねれば重ねるほど
自分の幸せにも
力を注がなくてはならないと思いました
むしろ
長い老後に向かって
自分の幸せを中心に
考えなくてはならないと思いました
そうすることで
子どもも安心し
嬉しく思い
幸せなんだと思うようになりました
それだけ私が歳を重ね
子どもは
私にとってはいくつになっても子どもであっても
私が思っている以上に
大人になったということなのでしょうね
今日は
我が家の話になり恐縮ですが
私から見て
我が子達が幸せであれば
私も幸せであるという
あなたが幸せで
私も幸せ
もありますが
子どもから見て
親が幸せならば
子も幸せという
あなたが幸せで
私も幸せ
もあるというお話でした
そして
何より
このホームページをご高覧いただいている
生徒の皆さん
そして
見ず知らずの方もおられますが
多くの皆さん
本当にありがとうございます
あなたが幸せで
私も幸せです
皆さんにとって
素敵な一週間でありますように
それでは
また日曜日にお逢いしましょう
雅
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